進路の志望を決めようとした時、
大好きな文学は捨てると決めた。
大学入学試験の結果はまずかった。
それはそこまでの三年間の結果、
その点数、変えようがない。
浪人も嫌だし、
その点数でどっか決めればいい、
将来を。
物理や化学とか、絶対むりだからね、もともとダメだった。
また三年間でそれらを勉強するなんてごめんだ。
次に諦めたのは国文と数学。
物理などのほどまずくなかったんだが、
そんなものを勉強して、それに、専門学校のそんな科目、
将来は見えない。
で、同じくまずくなかった英語を選んだ。
いろんな経緯で、今までに来た、
最近ますます、また文学に興味を持ってきたんだ。
将来をこれにしたいんほど。
なら、今まで、歩いてきた道は、
全て無駄のもがいだけなんだろうか?
好きなものは金になれないからと信じて、
怯えていた。
それで、夢から目を逸らした。
逸らして、今までの人生、ただの時間の無駄遣いのか?
そう、かもしれない、
でも、そうでもないかもしれない。
日本語の勉強は決して時間の無駄ではない、
日本語を習わなかたっら、今の自分でいられないと思う。
習わなかったら、もう一つの国の文学に興味を持たないだろう。
その興味を持たなかったら、戻る気になれるだろうか。
そう考えたら、問いましょうーーなぜ日本語を勉強し始めたのか。
その夏、その学校、その英語の科目を選んだのだ。
正しい道を選んだのか、よく迷うことだ。
間違ったら、あとはまずいと思われる。
でも、何かを始めようと思ったから、
ちゃんと勉強したかったから、
そのあとの経験を手に入れたんだ。
感謝と言うのは大げさだ。
でも、悟ったのだーー
何かを始めようとする時、
その場の選択の意味を分かるまで、
その道は正しいかどうかは、
誰も断言できない。
ただ、その気持ちがあれば、
歩ける。動力が湧いてくる。
反抗の心理はだめだ、
自分が決めたこと、自分のためだけ、
そう思って、歩いて行くんだ。
もがいて、あがいて、正しい道はあとでわかるものだ。
行動して、それでいい。